社会人のわたしがロサンゼルス留学を決めたわけ【大阪編】

木製のドアを開けた瞬間、慣れ親しみのない香りがふわっと鼻を通り抜けた夕暮れ時。

何年ぶりの実家だろうか…。

これからはじまる渡米までの大阪生活に胸をはずませ一声

「ただいまー!」

小学校4年生に上がる年、父親の転勤で大阪の富田林市から堺市に引っ越してきた。

それを1回目とすると計3回、うちは引っ越しをしている。

現在の実家がある場所に関しては、すでにわたしが実家を出ていたときに移ったものだから、大阪に戻るまで実際そこに住んだことはなかった。

実家なのによその家に住むような変な感覚と、新生活への期待が入り混じり気分が高まる。

東京時代に感じていたプレッシャーやストレスから解消されたわたしは、心身ともに浄化されたように清々しく、渡米までの残された時間を思う存分楽しみたいと思っていた。

わたしに与えられたのは2階にある8畳ほどの部屋。

大量の洋服をかけるのに十分なサイズなクローゼットを見て安堵した。

昔からわたしは貧乏性でひょっとしたらこの先着るかもしれない…というもったいない精神が邪魔して、断捨離ができないタイプの人間。

今でもたまに思う。

「高校生のときに着ていたあの服、いまあればまた着たいのに…」

こんなことがたまに起こるから一層捨てられないでいる。

今はときめかないけど、ある日突然ときめくことだってあるのだ。

「ひとまず服の置き場は確保できるな」

ふと後ろを振り返ると思わず「あっ」と声がもれる。

そこには小さいころからせっせこ貯めたお年玉で中学にあがる前に買ったベッド、デスクが置かれていた。

25年以上前の家具なのに、そのコンディションの良さには驚愕。

ひょっとしてわたしが貧乏性なのは、大切にモノをとっておく母親の遺伝なんじゃ?と思う自分もいたりして(笑)

とにかくはじめて暮らす家でもどこか落ち着く気がしたのは、間違いなくこれらの家具のおかげだと思う。

ちなみに今でもこのデスクとベッドは大きな傷みもなく現役として実家で使われている。

こうしてわたしの大阪生活がはじまった。

前回の準備編はこちら。

続きものなのではじめを見逃した方は第1話をどうぞ。

目次

半年間の大阪生活

荷ほどきも早々にわたしは仕事を開始。

渡航まで限られた時間しかなかったので、正社員で雇ってくれるところもないだろうから短期OKなアルバイトを選んだ。

服装、髪色自由ということでパソコンを使った簡単な仕事をすることに。

売り上げを気にする必要もなければ、失礼だけど頭を使わずに済むバイトはものすごく楽チンで、貯金を減らすことなく生活できる分だけの収入があればいいと思っていたわたしにはピッタリで。

渡米直前まで働かせてもらった。

家を出た20歳以来まともに家族との関わりをもってこなかったわたしは、空白の10年を埋めるかのようにたくさん家族と過ごし、久々にゆったりと流れる時間に心からリラックスしたのを覚えている。

母親、わたし、妹の3人で初海外、台北にも行った。

臭豆腐の強烈なニオイにやられ一瞬で退散した夜市、おもらししそうなくらい激痛だった足つぼマッサージ、変わった味の台湾料理…なんだかんだ楽しい思い出。

そして大阪でやるべき最重要事項、学生ビザ申請へと着手した。

長年の思いが壊れたとき

実はアルバイトをはじめる前、1か月だけ大阪にある知人の会社で営業として働かせてもらった。

辞める最後のさいごまであの会社の事業内容をつかめないまま退社したから、どんな仕事をしていたのかうまく説明できないけど明確になったことが1点。

”知り合いと仕事をするのはやめておこう”

起こったことは割愛するとしてどうしてそう思ったのかというと、要は昔から妹のように可愛がってくれていたお兄ちゃんのような存在のSくんが代表を務める会社で働き続けることにかなりやりにくさを感じたから。

「これまでがむしゃらに走り続けていたことに意味はあったのだろうか…」

ふと頭をよぎる。

東京でどんなに辛い思いをしても大阪に帰らかなったのは、戻ったところで何をしたらいいかわからなかったというのもあるけど、Sくんの言葉を信じ続けいつか認めてもらいたいという気持ちが大きかったから。

10年間思い続けた念願が叶った途端、それはあっけなく宙を舞い散り去った。

尾道で交わした約束

「いつかお互いが必要と思えるような人間に成長して一緒に仕事しような」

高台から目の前に広がる尾道の夜景を見下ろした強い眼差しには、いつものおちゃらキャラSくんの姿はなく真剣な表情だった。

美容専門学校卒業後に勤めた美容室を辞めた後は、バイトなんぞして適当に生きる毎日。

特にやりたいことがなかったし、自分には何が向いているのかさえもわからない。

何をしていいのかわからずモヤモヤが続く日々。

「Reikoちゃんってさ、この先どんなことをしたいの?」

北大阪の緑地公園にある小さな居酒屋さんのカウンターに座わりビールをグビっと飲み干したMさんが、わたしに質問を投げかける。

当時Mさんは誰もが知っている大手広告代理店で働いていて、アーティストのドームライブを仕切ったりイベント関係の仕事をしてた。

仕事をバリバリして毎日充実してます!オーラーが半端ないMさんがものすごく眩しく、20歳やそこらのわたしにとって、いつかあんな大人になりたいと思った憧れの存在。

「わたし?うーん、官能小説家になりたいな」

そのとき官能小説にハマっていた時期で、とっさにこう答えてしまった。

厳密にいうと咄嗟に出た答えではなく、頭のどこかであの手の小説を書ける人の文章力が凄いと尊敬していて、自分にも文才があれば書いてみたいと思っていたのはホントの話(笑)

「ぷっ、ぶぅっふぁふぁふぁっ!」

飲んでいたビールを吹き出すのをこらえながら目を丸くしたMさんは

「やっぱReikoちゃんってさ、変な子だし面白いよね~」

「でもさ、いつも発想がユニークで俺は好きなんだど、先を見据えて行動する力をもたないとだね」

的得た答えに赤面。

「う…うん、そうだね。カシスオレンジもう1杯ください~」

その場しのぎの返事をするので精一杯のわたし。

Sくんが言ってくれたように、わたしは人から必要とされるようなスキルを持つ人間になりたかった。

どこかでSくんに認めてもらいたくて、自分自身をもっと成長させなきゃ!そう思うと同時に「でもさ何をしたらいいのさ?」答えの出ない悩みが頭をぐるぐる駆け巡る。

「いつか一緒に仕事をしよう」

この言葉が東京へ上京するきっけかとなったのは確か。

東京へいく直前21歳のわたしは、地元広島県尾道市に日本酒バーをつくりたいというSくんのお手伝いをしていた。

実際にわたしがやったのは日本酒選び、フード決め、グラスや備品集めなど。

「これまで日本酒なんてまともに飲んだことのないわたしが、売りとなる日本酒を選んでいいわけ⁉」

もう未知の世界だったけどSくんにお願いされたことが嬉しくて、期待に応えたい一心でわたしは行動に移す。

正直なところ、なぜそこまでSくんに認めてもらうことに執着したのか今でもわからない。

ただ…何もできなかったわたしにいつもSくんがかけてくれた

「Reikoちゃんなら絶対何かやってくれるって俺信じてる」

そんな風に言ってくれるのはSくんくらいで、彼といるとわたしはできる人間なんだと錯覚でき自信が持てたからこの気持ちを裏切りたくない…、それだけだったと思う。

まずは日本酒を知らないと話にならないよな…。

わたしの遊び場なんば、心斎橋で流行っている日本酒バーを調べ、早速足を運んでみることに。

心斎橋アメリカ村の雑居ビル2階にそのお店はあった。

アメリカ村といえばその当時はクラブ、バー、古着屋さん、レコード屋さん、流行りの美容室などが軒を連ね、若者が集まる活気あるエリアだった。

なんだけど、何屋さんかわからないアングラな店もあったりしてアメ村の雑居ビル、しかも2階ときたら怪しさしかない。

どんよりと重く独特な空気が流れる細い廊下を歩き緊張ぎみにドアをあけると、席数10席あるかないかのカウンターだけのこじんまりとしたバーが顔を覗かせる。

天井からのライトはなく薄暗い空間が広がる店内。

照明はカウンターに設置された木製棚の下からぼんやり照らす真紅のあかりのみ。

そして真っ黒のカウンターテーブル。

日本酒といえば”和”と勝手に思い込んでいたわたしの想像を遥かに超え異様な雰囲気を放つ。

「やっぱ怪しいところじゃんよ…(汗)」

入るか迷ったけど、バーテンダーのお兄さんと仲良さげに話している数人のお客さんの雰囲気がアットホームだったから一歩踏み込んでみた。

「いっらしゃいませ~こちらどうぞ」

「何にします~?」

SM部屋のようなお店とは対照的で、ニコっと笑みを見せる爽やか青年に言われるまま席へ着く。

「わたし日本酒とか全然わからなくて、何か飲みやすいモノってありますか?」

「甘め、キリっとした辛口とか好みはありますか?」

「甘めで、でも後口すっきりしたような感じでお願いします」

そんなやりとりをすると、お兄さんがわたしの前に木の枡と日本酒グラスをおき、選んだ一升瓶のお酒がトクトクといい音を奏でて注がれる。

「これはね明鏡止水というお酒で飲みやすいから試してみて」

グラスからあふれ枡なみなみに注がれた日本酒が目の前に現れた。

前かがみになりながらこぼれそうになるお酒に恐るおそる口をつけてみる。

「何これ…」

口に含んだ瞬間やさしく広がる日本酒の香りとうまみ、そして1点の曇りもないようなスッキリとした後口に仰天。

「日本酒ってこんなに美味しいんだ…」

これまで日本酒といえばワンカップとか調理酒しか知らなくて、真っ赤な顔をしたおやじがヘベレケになりながら飲んでいるイメージしかなかったから本当、ホントに驚いた。

それから日本酒にすっかりハマったわたしは何度かそのお店に足を運ぶ。

お兄さんと普通に話せるくらいになったところで

「ここのお店、どこから日本酒を仕入れてるの??」

直球で聞いてみた。

「え…?酒屋さんだよ」

「その酒屋さん日本酒たくさん取り扱ってる?」

「うん、お酒の数半端ないし多くの飲食店と取引してるんじゃないかな」

「ねぇ、その酒屋さんの名前教えてほしい!」

困惑気味のお兄さん。

「…なんで?」

「わたし広島で日本酒バーをやろうと思ってるけど日本酒のこと全く知らなくて」

「だからその酒屋さんにいってお酒のこと教えてもらいたいんだ」

マジか…はじめはうまくかわしてきたけど、引き下がらずしつこいわたしに根負けしたのか呆れ気味のに渋々その酒屋さんの名前を書いた紙きれを渡してくれた。

「やった!!ありがとう!!!」

路上生活者の本拠地、西成の近く大国町というエリアの住宅街にその酒屋さんはひっそり佇んでいた。

軒先に杉玉が吊るされていたのか、立て看板があったからかは覚えていないが、隠れ家的な場所にあったもののさほどまようことなくお店を発見。

愛用していた折りたたみ自転車を停め店のドアをあける。

老舗酒蔵を思わせる白塗の蔵のような建物の中へ入ると、日本酒の柔らかい香りが風にのってやってきた。

凛とした空気を吸い込み、ふぅ~と深呼吸。

階段をゆっくり上ると、木の樽のようなスモーキーな香りと様々な日本酒のいい匂いのする店内。

そこには大量に並べられた酒棚がびっしりあり、これは本格的な酒屋さんなんだと確信。

「すみませーん」

運よく⁉そのときは他にお客さんはいなくて、奥からおじさんが歩いてくるのが見えた。

「いっらしゃいませ。どのようなご用で?」

物腰やわらかい感じだったけど見た目は頑固おやじっぽい風貌で、ギロっと鋭い目がわたしの方へ向けられる。

おじさんの貫禄に圧倒され、めちゃくちゃ緊張するわたし。

「あ、あの!わたし日本酒バーをやりたいんですけど、どの日本酒をおけばいいかわからなくてアドバイスをもらいたくて来ました!」

今のわたしだったら無謀かつ、いきなりこんな失礼な質問はしない。

恐いものがなかったからできたことなんだけど…。

”無知”とはあるとき考えられないようなようなパワーを発揮し、大胆な行動にでる力があると思う。

何も考えず単純で無知、ただ勢いだけで生きていた当時のわたしの行動を思い返してみると、よくやったな…(汗)ってことがたくさんある。

そのうちの1つがこの酒屋さんでの出来事。

…沈黙のあとおじさんが口を開く。

「なるほど。ちょっとこちらに来て」

そういって奥のガラス扉をあけ、立派な一枚板のテーブルがドンとある部屋の木製腰掛に座るよう促した。

テーブルの前には日本酒がずらり並んだケースが。

そしていくつかのグラスをのせたトレーを運んでくるおじさん。

「どんなお酒が好きなんだい?」

お酒のショーケースを眺めながらわたしに問う。

「甘めでのみやすく後味すっきり系が好きです」

どれくらい試飲させてもらっただろうか…。

わたしが好きそうなお酒から辛口まで様々なお酒を飲ませてもらった。

覚えている銘柄は、南部美人、東洋美人、飛露喜、黒龍、春鹿、秋鹿、醸し人九平次、ひめぜん…。

もっとたくさんあったけど最終、甘口から辛口まで揃った30種類近くの日本酒リストをつくらせてもらうことができた。

何も知らないわたしにおじさんは、お酒の産地、度数、どんな味なのか教えてくれ、余すところなくメモをとった。

飲ませてもらった日本酒が美味しすぎて、出してれたお酒を全部飲み干しほろ酔いになる。

”すず音”という微発砲のお酒を購入し、何度もお礼を言ってお店をあとにしたわたし。

フラフラと近くの公園まで自転車をゆっくり走らせ、買ったすず音をサイダーかのようにグビグビ流し込んだ。

「ふぅー!!めっちゃ緊張した~でもあんなに丁寧に教えてくれて、ホントいい人だったな」

いや、本当そう。

よくわからない女がふらっとお店に来て、お酒のこと教えてくださいって言われても普通あんな素敵な対応はとってくれないだろう。

しかもたくさん試飲させてくれて…。

本当感謝でしかない。

その作ったリストを元に広島の地酒を加えて仕入れることに。

バーではお客さんに好きな手作りおちょこを選んでもらう形にしたくて2、3か月陶芸教室にも通った。

はじめての陶芸。

ろくろを回し、釉薬をかけ…先生の指導のもとできたおちょこは納得のいく仕上がりに。

できたおちょこをもって早速Sくんに披露。

まさかわたしがおちょこをつくってくるとは思わず、かなりビックリしたようで

「えぇー!凄いね!!ありがとう、ありがとう」

何度も喜んでくれ、その顔が見れただけでわたしは満足だった。

正直なところ、なぜそこまでSくんに認めてもらうことに執着したのか今でもわからない。

ただ…ただ何者でもなく能力やスキルのないわたしにいつもSくんがかけてくれた

「Reikoちゃんなら絶対何かやってくれるって俺信じてる」

この言葉を裏切りたくない。

だってそんな風に言ってくれるのはSくんくらいで、彼といるとわたしはできる人間なんだと錯覚でき自信が持てたから…。

信じてくれているであろうSくんに結果をもってきちんと認められたい、その一心がわたしの希望の光。

当時のわたしは承認欲求のかたまりそのものだったな。

人から認めてもらうことで自分の存在意義を見出していたように思う。

こうして無事に尾道の情緒あふれる昭和ロマンという言葉がぴったりハマるスナック街、新開というエリアに日本酒バーはオープン、わたしの任務は終わった。

新開という場所は狭い路地にレトロな看板のスナックが立ち並ぶ飲み屋さん街。

そこだけ時間が止まったかのような哀愁漂う新開や尾道へは長く足を運んでいないけど、いつかまた行きたい場所の1つ。

坂の町と呼ばれるだけあって、小高い丘がいくつもある尾道。

「ちょっと散歩しようや」

お店がオープンしひと段落したところでSくんはあの夜、丘の上から控えめに輝く夜景を見ながらこう言った

「いつか一緒に仕事しような。それまでお互いもっと成長して力つけよ」

でも本当はわかっていたんだ。

わたしは何もできない空っぽで無能な女だってこと。

でもそんなこと認めたら這い上がることができないくらい絶望しそうで…。

「わたしはやればできるんだ。ただコレ!っていう何かにまだ出会えていないだけ」

「きっとそう、わたしはやれる。でも何を…???」

不安、失望、恐怖で目の前が真っ暗になりそうだったとき、手ぐすねをひいて待っていた”アイツ”がとうとうわたしの目の前に現れた。

「ようこそ底なし沼へ…」

一人暮らしをしていた大阪のマンションに戻ったわたしに、何かやりきった感と先の見えない未来で不安になる日々が訪れる。

「一体わたしはこれから何をしたらいいんだよ…」

おまけ

「え?ってことはその様子を目の前で見れちゃうんだよね??君たち面白すぎる~!」

プロダクションマネージャー時代TVやラジオの収録もあり、その繋がりで芸人さんと飲む機会がちょくちょくあった。

職業の話題になったとたん「どんな仕事なの?あれって本当なの???」と身を乗り出し興味津々になる男性陣。

公用語が淫語だったわたし達からするとナチュラルに出てくる言葉も、他人からすると口から出るワード1つ1つが卑猥。

しかも話題がつきないネタの宝庫ときたもんだ。

その辺のおすまししてブリッ子という皮を被った女性より、よっぽど面白いと自負していた。

ただ如何せん恥ずかしげもなく下ネタを炸裂させるもんだからモテなかった(笑)

やっぱ結局のところおしとやかで品のある女性の方が選ばれるのだろう。

いつも楽しい止まりでモテやしない(涙)

そりゃそうだ。

クライアントから撮影依頼の電話がかかってくれば、代官山のおしゃれカフェにいようが、デートの最中であろうが関係なくプレイ内容の確認をするわけで、そうすると必然的に淫語のオンパレードになってしまう。

それがわたしの日常で、いつしか呼吸をするかのように何の抵抗もなくなっていた。

周りの人がわたしを白い目で見ている?

だからどうした、こっちはこれが仕事なんだよ。

東京で学んだ大人の階段を上る第2ステップ。

”勝負の鍵は面白さではない。女性らしさを身につけよ”

留学準備【ビザ編】へと続く

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