社会人のわたしがロサンゼルス留学を決めたわけ【最終編】

人は目標を達成するためなら大体のことは頑張れる。

そう気づかせてくれたのが闘病生活だった。

診察や治療以外は外出することなく、ひきこもること1年半。

辛い治療を乗り越えられたのは家族の支え、ロサンゼルスに戻るんだ!という強い希望を持ち続けたから。

そして「待ってるよ~」とメッセージをくれたLAの友達や、「がんばれ~」と励ましてくれた日本の友達にも救われた。

そこまでしてロサンゼルスに戻りたかった理由とは?

答えは簡単。

ただロサンゼルスが大好きだから。

照りつける太陽、カラッとした気候のロサンゼルスは街を歩くだけでワクワクする。

食べ物がおいしくて、好きな温泉がたくさんある日本だって好き。

でも日本の街中を歩くと人の多さだったり、いろいろなことに窮屈さを感じることが多くて…。

いるだけでリラックスでき、心がハッピーになれるロサンゼルスでもっと暮らしていたい。

この気持ちが消えることはなかった。

そしてもう1つ野望が芽生えだす。

次は学生としてではなく、インターンもしくは就職でLAに戻れないだろうか?

そのヒントを見つけるため、1年半の闘病生活は戻る方法を探す時間に費やされた。

続きものなのではじめを見逃した方は第1話からどうぞ。

目次

どうやってロサンゼルスに戻ったのか?

やっぱり自分が納得するまでLA生活を満喫したい、そして働いてみたい!

でもわたしのやりたいこと、できることは何だろうか…?

これまで就いてきた職を思い返し、活かせるスキルがあるか考えてみた。

そこで思いつくのは東京でのマネージャー時代のこと。

激務でトラブルが多くストレスを感じる職ではあったけど、人のお世話をすることは好きだったし自分に向いていると思う。

果たしてロサンゼルスで人のお世話をするような職はあるだろうか…?。

そうだ!留学中困ったときに助けてくれたのは留学エージェントじゃん。

自分の留学経験を活かして留学生のお世話ができないかな⁉

すぐさま枕元に置いていたタブレットを手に取った。

ロサンゼルス就職活動

まずは留学エージェントの業務内容を知るため、山ほどあるエージェントのサイトを調べ倒した。

なんてたってわたしには余るほど時間があるんだから。

どのエージェントも学校の手配やビザの手続きなどが主らしい。

次にロサンゼルス現地にオフィスのある留学エージェントで求人をかけているところがないか探してみる。

そしたらなんとわたしがお世話になったエージェントが、現地でインターンを募集していることがわかった。

インターン募集広告をみました。今も受けつけていますか?

早速、そのエージェントに連絡をしてみた。

実はLAオフィスでインターン中の者が帰国を延期することになり、すぐにインターンが必要な状態ではなくなりました。ですが次ポジションに空きが出たらこちらからお知らせしましょうか?

そう返事をもらい「教えてください」とお願いした。

留学中、このエージェントのオフィスに何度が遊びに行ったことがあり、スタッフ同士が仲良くアットホームな会社だということはわかっていたし、働くならここがよかったから他のエージェントの求人を探すことはせず。

合法的に働くとなると就労ビザが必要になるだろう。

調べてみると就労ビザの取得は簡単ではないこと、また4年制大学以上の学位か、それ相当の実務経験があることがビザ申請の条件だとわかった。

留学エージェントとしての職務経験はないし、最終学歴専門卒じゃ就労ビザなんて無理な話か…。

カレッジを卒業したら1年間働くことのできるOPTという制度が使えるらしい。

カレッジ卒業までにかかる年数は約2年。

その間は働けないから学費+生活費がまかなえるだけの貯蓄が必要ってわけか…。でもってカレッジ入学にはTOEFLや英検のスコアがいるようだ。

卒業までにかかる年数、学費を考えるとあまり現実的ではなかったけど、最低英検2級で入学資格がもらえるカレッジがあるのを見つけたので、とりあえず英検2級をとっておくことに。

ということで闘病中は英検問題集をひたすら解き単語を覚えまくった。

そして見事2級に合格。

突然やってきた急展開

抗がん剤治療と手術を終え、ひと段落してから次の渡米に向けアルバイトを開始。

そうこうしていると、ある日エージェントから1本の連絡がはいった。

ちょうどロサンゼルスオフィスの代表が日本に一時帰国中で、まだインターンに興味があるようでしたら一度会ってみませんか?

もちろんです!是非お願いします!!

ようやく巡ってきたチャンスに胸が高鳴った。

面談場所に指定されたのは銀座。

酸いも甘いも経験した東京…。

新幹線の中でこれまで起こった東京生活が、走馬灯のように次々と蘇り、感傷に浸っているうちに東京へ到着。

「くそ…今回も富士山見逃してしまったじゃん」

大阪ー東京間を何度も行き来してきたけど、いつもボーっとしているうちに新横浜に着くから富士山を拝めたことが実はあまりない(涙)

「久々の東京は相変わらず人が多いし、みんなあくせく忙しそうに早歩きするのは昔も今も一緒か…この人たちは何を楽しみに毎日生きているんだろう?」

そんなことを思いながら東京駅を歩く。

人々の動く速いスピードについていけず、自分の周りだけ違う時間が流れているかのような不思議な感覚を覚えながら、地下鉄丸ノ内線を目指す。

地上に上がるとすっかり日は暮れていた。

キラキラとした妖艶なネオンをまとった夜の銀座を少し緊張気味に歩く。

指定された喫茶店に入ると、ハワイのようなゆるーい雰囲気を醸し出している男性が目に入った。

アロハシャツとはずいぶんカジュアルだな…。

「Reikoさんですよね?はじめまして」

フレンドリーに話してくれたこの男性がLAオフィスの代表だった。

このエージェントを使って留学をしたこと、なぜインターンに興味があるのか?など伝えたあと、具体的に現地でどのようなことをやるのかを教えてもらった。

「実はうちのインターンがもう1年滞在を延長することになり、残念ながら今すぐにインターンを募集している状態ではなくて…。」

「ただ空きが出た際、Reikoさんがよければ次期インターン生としてお願いしたいのですがいかがですか?」

あと1年あればもっと生活資金を貯めることができるし、わたしにとっても好都合だな。

「はい!わたしはそれで問題ありませんので、こちらこそ是非よろしくお願いします!」

こんな流れでロサンゼルス行きの切符を手にしたのだ。

2回目のビザ面接

留学エージェントが募集していたのは無給インターンで、学校が終わる午後からエージェント業に携わるというもの。

有給が難しいことは理解していたし、無給でもやりくりできるくらいの資金があれば問題ない。

お金がどうこうよりチャレンジしてみたい気持ちが大きく迷いはなかった。

ということで、インターンビザ(Jビザ)ではなく前回と同じ学生ビザ(Fビザ)の取得を目指すことに。

インターンビザの有効期限は1年半、更新不可と知っていたので、最大5年降りる学生ビザの方がわたしにとっても好都合。

ただ2回目の学生ビザ申請は、再留学する正当な理由がないと却下される。

しかもわたしは30代で年齢的にも厳しい。

そこでわたしが立てた再留学ストーリーはこう。

  1. 前回の留学でカレッジに行く予定だったけど、ガンが見つかったことにより断念
  2. カレッジ進学を目指すため、まずは語学学校に通いカレッジ入学に必要なスコアを取得
  3. カレッジ卒業後は日本に帰国し就職する

このストーリーの信憑性をあげるために用意した書類がこれ。

  • カレッジ2年間通えるだけの銀行残高証明書
  • 病院からの診断書(どのような治療をしたのか)
  • 帰国したら就職する先が決まっているという雇用レター

雇用レターについてはここでは詳しく書かないので気になる方は直接メッセージをください。

2回目のビザ面接はやはり一筋縄ではいかず、再留学する理由、カレッジで何を学びたいのか、また帰国後それをどのように活かすのか?細かに質問された。

しかも英語で。

初回と比べものにならないくらい緊張し、あぶら汗を大量にかきながら、何とか質問に答える。

ビザが欲しい気持ちが伝わったのか、無事5年ビザを取得!

ビザが却下されなかったのは、立てたストーリーに対しそれを裏付ける書類を提出したことで信頼度が上がったからだと思う。

帰国から3年後、ついにわたしは念願のロサンゼルスへ旅立った。

永住権申請

約束のインターン期間1年が満了しようとしていたとき、会社から永住権のサポートができると話をもらった。

大好きなロサンゼルスで思う存分暮らせるし、合法的に働けるようになるんだ!

断る理由なんてなかった。

こうして永住権申請を開始。

なんだけど、手続き中に主人との結婚が決まり、会社からの永住権サポートを途中キャンセル、婚姻によるグリーンカード申請に切り替えた。

グリーンカード申請から4か月後に永住権を取得。

企業サポートの場合、早くて2年弱か2年くらいで永住権が取得できると聞いている(コロナ前)

婚姻によるグリーンカードは早く取得できるけど、偽装結婚ではないことを証明するために集めるべきモノがたくさんあって、それはそれで大変だった。

これまでわたしの人生いろいろなことがあったけど、今は大好きな場所でストレスなく生活できていることを、心から感謝したい。

起こることすべてに意味がある。

人はそういうけど、ガンはわたし胸を奪い、髪を失い(もう生えてる)病気になったことに何の意味があるの!

そう何度も思った。

でもさ、ちゃんと意味があったんだよね。

たくさんお酒を飲み、ジャンクフードだっていっぱい食べる、運動なんてしないわたしに、自分の体ちゃんと労わり健康な生活をしなきゃダメだよって教えてくれたのかな。

あとはこれから先、自分が何をしてどのように生きていきたいのか、真剣に考える時間が必要だったとも思う。

おかげで闘病中じっくり考えることができたし、食生活にも気を遣うようになった。

すべては必然なんだろうな。

留学はわたしをどう変えたのか?

自分らしく生きればいい。

そう思えるようになったのは、ロサンゼルスでの生活があったから。

例えばファッション。

アメリカに住む女性は年齢に関係なく、自分の着たい洋服を着る。

歳を重ねても胸元の開いた洋服や、素足にタイトなドレスだって自分の好みであればそれで良しなのだ。

この歳でこんな洋服を着たら他人に変な目で見られるかもしれないから、やめておこうみたいな概念がない。

いつまでも”女性”でいることが当たり前。

セクシーかつ美を保つため、ジムへ通ったりボディケアをしている女性の割合も多いと思う。

事実、ジムに行くと幅広い層の人達がいる。

普段からこういう女性たちを見ていると、自分は自分で好きな洋服を着ればいいじゃないか、と思うようになった。

別に若作りをしたいわけではない。

ただ年齢が邪魔をして諦めたり、他人の目を気にして好きな洋服が着れないというのはなくなった。

性格の変化としては社交的になったことだろう。

スーパー、洋服屋さん、ご近所、どんなところでも簡単に会話が生まれるアメリカ。

知らない人との世間話に慣れたことで、今は緊張することなく誰とでも気軽に話せるようになった。

日本では知らない人とフレンドリーに話すことがなかったわたしにとって大きな変化だと言える。

あとはYes/Noの意思表示を覚えた。

渡米当初、Noと言いきることが相手に失礼だと思い「ううーん」みたいな感じでモヤっとさせることが多く、結果YES or NO!?と聞かれ相手をイラっとさせてしまう経験を何度もした。

日本人ならわかるNoのサインも、アメリカ人にはちゃんと言わないと通じない。

語学学校に通うようになり変わった点は、質問や意見を積極的にするようになったこと。

授業中、積極的に意見や質問をするヨーロッパ、南米、中東の生徒たち。

それとは対照にアジア人は、質問があれば授業終わりに先生に聞きに行くスタイルが主流で、わたしもそうだった。

でもあるとき先生に”なんでそれ授業中に聞かないんだよ!だからわからないところはない?って授業で何度も確認してんじゃん”と言わんばかりに呆れた顔をされたことがあって、もしやこうやって授業後に質問することは失礼なのでは?と思うように。

直接そう言われたわけじゃないけど…。

でも質問があるならその場でした方がお互い時間の無駄を省けるよな。

それから授業中に発言することに何の抵抗もなくなっていった。

むしろ話したほうが圧倒的にスピーキング力が上がるのだから話さない手はない。

こんな感じで、ロサンゼルス生活や留学は自分自身プラスになったことがたくさんある。

文化の違いに戸惑い、人種のことで嫌な思いをするかもしれない。

でも外の世界を見ることで刺激を受け視野が広がり、日本にはない経験ができる。

それは結果、あなたの成長にも繋がるはず。

今やパソコン1つでどこでも働ける職がある時代だからこそ、住む場所にこだわる必要がなくなっていますよね。

もし短期でもいいから海外に住んでみたい、留学してみたいでも本当にこれでいいのか?と迷い踏み出せないでいるなら、どんなことが起ころうともその気さえあればやり直しはきく、だからチャンレンジしてみませんか。

1年半という闘病生活は空白のような時間だったけど、この期間を失ってもまたロサンゼルスに戻れたわけだから、わたしの人生という大きな枠の中でみると、1年半なくても大したことなかった。

だから失敗したらどうしよう…?後悔したら?と、やる前に考えて先に進めない人がいるならまずやってみて、もし思ってたのと違ったら「やっちまったな~」くらいの気持ちで軌道修正すればいいんじゃないかな、と言いたい。

これまで長々と書いてきましたが、お付き合い頂きありがとうございました。

留学や海外移住に興味があるけど躊躇している方へ、わたしの経験をお話することで前に進むきっかけになれたら嬉しいです。

さて、次回からは通常のブログに戻り、留学情報やロサンゼルス生活、おすすめスポットについて書いていきますので、今後ともよろしくお願いします。

おまけ

「ごめん、今尾行中だからあとでかけなおす」

手短に小声で話し、携帯をつかんだ手をポケットの中にしまった。

そして狙った獲物を逃さぬよう静かに後を追う。

尾行は何度もやったけど1回もバレたことはない。

そう、わたしは尾行が得意だった。

なんてことない普通のTシャツ、デニムにスニーカー、街中の尾行ならこれがちょうどいい。

決して目立つことなく、その場の雰囲気にうまく溶け込む。

これが尾行の鉄則と先輩探偵に教わった。

探偵事務所で一番多かった業務が尾行だ。

尾行と一口にいっても不倫現場をおさえるためのものや、仕掛ける工作に必要な尾行など様々。

不倫現場の様子を依頼人に提出すると”別れさせ工作”に発展することもある。

工作といえば、別れた相手との関係を修復する復縁工作、好意を持った相手と仲良くなるための工作なんてのもあったり。

探偵とは依頼人のリクエストにお応えする何でも屋のように感じた。

探偵事務所では初体験したことがたくさんある。

例えば工作の一環で行った逆ナンパ。

道端でターゲットに近づき電話番号を聞き出すというもの。

もちろんシナリオなんてないし、失敗したら全てが台無しになる一発勝負。

自慢じゃないけど「わたし失敗しませんから」(笑)

ディズニーシーデビューは工作で大して知らない男性と行ったもの。

仕事を忘れてちょっと楽しんでしまった自分が恥ずかしい。

某有名スポーツ選手のゴーストライターもやった。

というものこの探偵事務所の社長さんはメディア出身の人で、週刊誌の連載を請け負っていたのもあり、その関係でスポーツ選手のコラムを書かせてもらえる機会があったのだ。

「君の文章悪くないよ。慣れればもっといい記事が書けるようになる」

そう言ってくれた社長さんの言葉は今でも忘れない。

人生とはおもしろいもので、そのとき必要なくてもいつか役立つスキルがある。

まさにライティングがそうで、あのときは全く興味なかったけど、今はときどきライター業をしたり、ブログなど書くスキルが必要となっている。

社長にもっと書き方を教わっておけばよかった…。

他事業でバーを経営してこともあり、バーテンダーとして働いたこともある。

今じゃすっかり忘れたけどシェイカーを振ってお洒落なカクテルなんぞ作ったり、専用のナイフで角氷をロックに使う丸アイスへと削る方法も覚えた。

このバーで働くようになってからウィスキーの美味しさにハマり、一時ウィスキーのストレートばかり飲んでいた。

探偵事務所でたくさんの経験をさせてもらえたのに、ちゃんと身になっているものがない…。

もっとしっかりやっておけば将来使えるスキルになったかもしれないと思うと後悔だけが募る。

バーの隣にあったSMクラブの女王様にSMとはなんぞ、を教え込まれている場合ではなかった(笑)

そんなこんなで1年ほど働いた探偵事務所をあとに、モデルプロダクションで働くこととなる。

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