社会人のわたしがロサンゼルス留学を決めたわけ【衝撃編】

3か月のサンタモニカ生活に別れを告げたあとに選んだ場所はトーランスだった。

トーランスはロサンゼルス空港から車で約20分ほど南下したところにあり日系企業が多く集まるエリア。

だから日系レストランやスーパーが多く、日本人にとってすごく生活のしやすい場所。

日本人女性が働くキャバクラやガールズバーなんかもあったりしてあそこはほぼ日本みたいな感じ。

なんだかんだ言っても日本の調味料や食材が手に入るスーパーが近いのは、よく自炊をしていたわたしにとってはありがたい話で。

サンタモニカみたいに観光するところがなく、程よい田舎具合がちょうどよかったのもありトーランスを選んだ。

学校はトーランスから車で約30分さらに南へ、丘の上の高級住宅地パロスバーデスにあるFLSにした。

決め手となったのは、真っ青に広がる綺麗な海をパロスバーデスの頂上にあるキャンパスから見渡せる最高のロケーション。

加えてFLSはローカル学生が多く通うマリーマウントカレッジ内に併設されていて、カレッジ生同様にカフェテリアやその他施設が使い放題だったのにも惹かれた。

でもって周りには遊べるようなところなんて1つもない(笑)

なんせ丘の頂上にポツンとあるカレッジだったから。

トーランスに引っ越してすぐにカリフォルニア運転免許証を取得し車も購入。

Honda Accord

これが人生ではじめて買ったマイカー。

日本車は壊れにくく燃費よし、そして売るときも値崩れしにくいから人気なのだ。

事実、帰国する際に売ったこのアコードは走行距離や年式のわりに高値で買い取ってもらえたし。

こうして車通学を開始。

続きものなのではじめを見逃した方は第1話からどうぞ。

目次

ロサンゼルス留学、本気の英語学習

こんなに必死に勉強をしたのは運転免許の合宿以来だわ…。

FLSに通いはじめてからというもの、放課後遊び呆けることなくまっすぐ帰宅しひたすら英語の勉強した。

思い返してみると勉強を頑張った記憶があまりない。

あるとすれば高校卒業後すぐ、友達と鳥取県へ運転免許合宿にいったときの試験勉強くらい(汗)

中学のときはテスト勉強用にまとめノートを作るまではいいけど、それで満足しちゃって気づいたら寝落ちしてた。

勉強することにどんな得があるのだろうか…?その意味を見出せなかった高校時代。

ってな感じでこれまでの人生、自分に頑張ったといえるくらい勉強をしたことがない。

必死に勉強をする30歳、独身女。

書き込みすぎてグチャグチャになったテキストブックを何度も繰り返しひたすら解く。

現在完了、過去完了、現在完了進行形など、このたぐいの文法にはかなり苦戦した。

きちんと理解するまで1年くらいかかったような。

それくらいわたしには難解でこれを助けてくれたのは、予備校で英語を教えていた帰国子女の友達。

「もうー!わからんー!!!」なんて発狂しまくるわたしに根気よく付き合ってくれたありがたい友。

そもそもわかるようになるまでこんなに時間がかかってしまったのは、わたしの理解力の低さは否めない。

あとはどんな文法もまず日本語に訳してから理解する作業をしていたから、取得するまでに余計時間がかかったのもあるだろう。

日本語に訳してもいまいちその意味が理解できない文法があって、その代表格が現在完了そのあたりのやつ。

日本語にしかない言い回し、その逆で英語独特の表現があるし、そもそも全ての英語をぴったりハマる日本語に訳そうなんて思っちゃダメだ。

訳しきれないときは、そういうものだからと無理に日本語で理解しようとせず、その表現方法を覚えるしかない。

言語学習で何の疑問も持たない赤ちゃんのように。

英語イヤイヤ期のせいで勉強を放棄したことが、英語上達に時間を費やした理由でもある。

トーランスではアメリカ人とコスタリカ人カップル、韓国人男性とルームシェアをしていて、一緒に夕食をつくってパーティーをしたり楽しくやっていた。

でもあるとき英語を聞くのも話すのも億劫になり、自ら英語環境から離れていた時期があるんだよね。

リスニングがうまくできないと聞き取ろうと必死に耳を澄ます。

これがけっこう労力を消費し英語になれない間はどっと疲れるんだわ。

毎日必死に勉強するもわからない文法が山積みだし聞き取れないしで、一向に上がらない英語力に苛立ち「もういいや」なんて思ったこともある。

1か月くらいは続いたであろうイヤイヤ期。

これを脱出できたのはやっぱり日本語を話さない友達ともっと会話をしたい!という気持ちが強かったから。

こうして猛勉強+帰国子女の友達の助けもありわたしの英語力はグンと一気に伸びた。

理解できる文法が増え単語も覚え始めると、段々リスニング力が上がり、留学1年経ったころには留学生となら問題なく英会話ができるし、授業もほぼ全て理解できる、簡単な小説なら英語で読めるまで成長。

さすがにネイティブにスラングだらけ、早口で話されたら全くついていけなかったけど(笑)

悲劇は突然に…

実はFLSを申し込んだのは3か月だけで、その後はトーランスにある格安校AOIに転校している。

FLSは最高のロケーションで、生徒数もそこまで多くなくアットホーム。

勉強をするには申し分のない学校だった。

ただFLSより授業料の安い学校を見つけたからそこへ移っただけ。

参考までにパロスバーデスにあったFLS、AOIトーランスはどちらも閉校し現在キャンパスは違うところにある。

これまで有名校~格安校まで合計6校の語学学校に通ったわたしの経験上、授業料の高い学校=授業の質が高いかというと、必ずしもイコールとはならない。

格安校でもいい先生はいるし、有名校でも教え方の下手な人はいる。

だから通っている学校に満足しない点があるなら迷わず転校することをおすすめしたい。

話を戻して。

AOIに1年間通っていたその間もFLSで知り合った友達と連絡を取り続け、よく遊んだり旅行もたくさんした。

自分とは違った国で生まれ育ち、異なるカルチャーや食文化をもつ友達と一緒にいると、これまで知ることのなかった世界が見え、もっといろんな子と仲良くなりたい!と夢中になった。

英語でコミュニケーションがとれることがこんなに面白いものと早く気づいていれば…。

韓国人のお友達のおかげで食べたことのない韓国料理をたらふく食べ、その美味しさにどハマり。

ロサンゼルスにあるバカでかいコリアタウンに行っては、一緒にいろんな韓国料理を食べ歩き、タイ人の友達にはビックリするくらい美味しいタイ料理を教えてもらった。

留学生だけじゃなく、徐々に留学生や社会人といった日本人のお友達もできはじめ充実した留学生活の毎日。

ところがやっと手に入れた心から楽しいと思えた時間が、一瞬にして奪われることになろうとは…。

それは何気なくシャワーを浴びていたときのこと。

左胸にゴリっとした感触が指先に伝わる。

ん?なんだこれ??

急いでバスルームから出てベッドに横になり再度その部分に触れてみる。

やっぱり…なんかぐりぐりしたものが胸の中にあるじゃん。

そういえばその頃、夜中にいきなり胸が痛くなって眠れなかったときもあったけな。

その痛みは胸が成長するときに起こるズキズキとしたものに似ていたから「ひょっとしてまた成長しちゃうとか(笑)」なんて気にもとめてなかった。

東京で働いていたときに受けた健康診断では「胸に泡のようなものがあるから再検査するように」って言われてたことも思い出す。

でもそのとき同じように言われた同僚がいたから、よくあるやつなんだとうと勝手に思い込み再検査を受けなかった。

明らか感じる胸の違和感に「ひょっとしてこれは…」という恐怖に襲われ、すぐさま病院で診察してもらうことに。

「うーん、悪性腫瘍の場合岩のようにもっとかたいけど、あなたのは柔らかいから悪いものじゃないと思います」

触診しながらそう言うドクター。

「よかった~悪いものじゃないんだ」

それまでの心配が一気に和らいだ。

「一応、マンモグラフィーもしておいたほうがいいので他の病院を紹介しますね」

ということで、マンモをしてもらうため他の病院へ足を運ぶ。

細胞をとって検査する生検をすすめられそれも受けてみることに。

生検をするために紹介されたのはハリウッドにある大きな病院だった。

どうやら胸を少し切って細胞をとるようだ。

診察や質問はもちろん全て英語。

留学生と会話ができるようになってからちょっといけるんじゃないかと調子に乗ってたけど、医療英語が全然わからず苦戦。

正直、質問されることの半分くらいしか理解してなかったと思う。

局所麻酔をしてはじまった生検。

カメラのモニターを見ながら、2名のドクターが険しい顔で何やら話している。

その会話内容がわからず「悪そうですか?」と聞いても「わかりません」としか答えてくれず、不安になるわたし。

こうして終わった生検。

左胸に刻まれた1センチくらいの切開痕が痛々しかった。

検査結果を聞いたのはちょうど1週間後。

雲行きの怪しかったドクターの表情なんてすっかり忘れ、どうせ大したことないだろうと軽い気持ちで病院へ向かった。

ドクターのいるオフィスらしきところに通され、椅子にかけるよう促される。

ドクターの落ち着いた表情にどこか安心するわたし。

「検査結果を伝えると、生検した細胞は悪性でガンだとわかりました」

「えっ?わたしガンなんですか?ステージは?進行具合は??」

焦って質問攻めをするわたし。

「現段階ではそこまではわかりません。あとは詳しく検査をしてみないと」

「アメリカで治療を受けることもできますが、日本で治療されたほうがあなたも安心じゃないかと思います」

「いずれにせよ、ここでは治療ができないので紹介状と生検結果を渡しますね」

一式を受け取り病院をあとにした。

検査を受けたことを話していた友人にすぐに電話。

「ねぇ、わたしガンって言われちゃった」

うそ…。ひどく落胆した友達の声。

「それがね、本当なのよ。で、わたし日本に帰国しようと思う」

「英語で治療を受けるとか無理だし、医療費が高いアメリカでいくら海外保険があるとはいえ、全部カバーはされないだろうから」

自分の身に起きていることは理解しつつ、このときはどこか他人ごとですごく落ち着いていた。

家に帰りすぐさまパソコンで”大阪 乳がん 名医”と検索。

そして見つけたドクターを母親に伝え、予約をとってもらった。

わが子がガンになったとわかり、母親はどんな気持ちだっただろう?

こんなことになって申し訳ないという気持ちで胸が締めつけられる。

検査結果を受け取ってから1か月後に帰国することにした。

「もっと早く帰ってこれないの?」

急かす母親。

そりゃそうだ。進行具合もわからず末期がんの可能性だってあるんだし、一刻も早く帰ってきてほしいに決まってる。

「うん、そうだよね。でも学校の辞める手続きとかあるしそんなすぐには帰れないんだよ…」

申し訳ないと思いながらもわたしは嘘をつく。

本当は帰ろうろと思えばすぐに帰れた。

でも帰りたくない理由があったんだ。

こんなに楽しいロサンゼルス生活を今すぐ捨てろと?

自分の体を一番に考えるべきなのはわかってる。

でもわたし何にも変わらず普通だよ。ガンって思えないくらい元気なんだよ?もっと友達と行きたいところがあるし、大好きなロサンゼルスから離れたくないよ。ようやく心から楽しい!って思える生活を手に入れたのに、なんでこれを諦めないといけないの?

もうこのときはロサンゼルスでの生活が充実しすぎて一分一秒でも長くLAにいたくて、ロサンゼルスの空気を感じていたかった。

そんなこと母親に言えるわけもなく。

「ひょっとしたらわたしはもう二度とこの地に足を踏み入れることができなくなるかもしれないんだ」

ガン宣告をされたときは大きなショックもなくケロッとしてたのに、帰国日が近づくにつれ

「どうしてわたしなの?」

その思いが強くなり号泣する日々が続いた。

「わたしはただ英語を学びたくてここに来て、一生懸命勉強して友達もできてやっと楽しい!って思える人生を手に入れたのに、どうして神様はその自由をわたしから奪うの?」

これまで何気なく目にしていたビーチ、パームツリー、どれを見てもこれが最後かもしれないと思うと、自然に涙が流れ止まらなかった。

「ねぇ、わたしもっと勉強したいよ。もっと英語上手になりたいよ!」

それが絶たれる悔しさ、絶望、不安、いろんな感情がこみ上げ、そのたびに両目から大粒の涙があふれ頬をつたう。

人間は本当に悲しいとき自然と涙が溢れ、止まることなく流れ続けるんだ。

これまで泣くことなんて滅多になく、感情の一部が欠落してるんじゃないかと思ってたけど、わたしも人間らしいところがあるんだとこのときはじめて知った。

ロサンゼルス空港まで送ってくれた友達にも最後まで帰りたくないと言い泣き続け、志半ばで治療のため日本へ帰国。

おまけ

今回を含めこれまで8回に渡り、わたしの人生について書き綴ってきました。

これを書こうと思ったのは、社会人の僕、私が留学したいけどこの歳になってどうなの?と思い、やりたいことを躊躇している人がいるかもしれない、だとしたら勢いだけで渡米したわたしでも生活ができたし、何より日本を出て異文化に触れ、様々な人種と関わることで無限に広がる自分の視野、吸収できることが多い留学はきっとあなたの人生の中でプラスになるはずってことを伝えたかったから。

次のブログではロサンゼルス留学をしてわたし自身がどう変わったのか?留学してよかったことを綴っていこうと思います。

あとはどうやって再度ロサンゼルスに渡航したのか、ビザのことなんかも書いていこうかな。

ガンのステージ、治療、闘病生活についてはヘビーな内容になるので、もし読んでみたい方がいたら綴ります。

次のおまけで探偵ってどんな仕事?何をしてたの?にも触れていく予定。

しかしホント変わった仕事ばっかやってきたな…わたし(笑)

【最終編】へと続く

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