英語を話せるようになって、ゲストハウスで働くんだ!
次なる目標が決まりわたしは早速行動に移した。
勤めていた会社に辞めることを伝え、その年の年末に退社が決定。
どのタイミングで両親や友人に留学をすることを話したのかはっきり覚えていない。
ただ誰にも相談してこなかったわたしのことだから、すべて決まってから事後報告したのだろうと容易に想像がつく。
留学決意を伝えたときの周りの反応はというと…
「その歳で仕事辞めてどうするの?」
ごもっともだ。
転職するならまだしも、留学なのだから無職になるってことなんだもん。
30歳にしてぷー太郎とはどういうこと?そうなるわな。
20代前半から思い描いていたわたしの理想形 ”毎日忙しくて仕事に明け暮れる日々” を手に入れることはできたけど、マネージャーを続けていくことに感じる将来への不安、そして何よりプレッシャーやストレスで精神が限界に達していた。
人をマネージメントするってのは簡単じゃない。
自分の常識が通用しないことなんて日常茶飯事。
朝撮影現場にモデルが来ない、いきなり飛ぶ、モデル同士のいざこざ、自殺未遂、部外者からの洗脳など、何もトラブルが起きない月があればラッキー。
次から次へと起こる問題の数々。
事実、部署を任されるようになり円形脱毛が止まることはなかった。
ひどいときには手のひらサイズくらい、ごっそり髪が抜けちゃったこともある。
幸いジャケット着用というルールのみで、あとは服装や髪色が自由な会社だったからハットにはかなり助けられた。
服装や気分に合わせてハットを変えていたので、いつしかお気に入りコレクションはクローゼットを占めるほどに。
このおかげで今もかぶりものが大好き(笑)
さておき、やりがいのある仕事だったけどいつしか辛いほうが勝ってしまったんだ。
同時に30歳の壁が迫ってくる焦りと、逃げ出して楽になりたいという気持ちで爆発しそうになったとき、留学という蜘蛛の糸がぴろーんと目の前に垂れ、わたしは光のさすほうへ糸にしがみつき登り始めたってわけ。
要は逃げたんだ、辛い現実から。
今はストレスフリーな生活を送っているから結果オーライなんだけど、当時ゲストハウスで働くことがゴールとしていたのなら、ゲストハウスで働きながら日本で英語を学ぶことだってできただろう。
留学を選んだ大きな理由は環境を変えたかったから、それしかない。
まぁ、本人が納得しているなら留学理由なんて何だっていいんじゃなかろうか。
人生のひとやすみもアリだよ。
わたしはそう思う。
さて、ようやく本題。
どうして留学先にロサンゼルスを選んだのか?
初回のお話はこちら。
ヨーロッパ珍道中
英語圏にいこう。
それだけは決めていた。
美容専門学校の同級生Rieがちょうどその頃ロンドンに留学中だったのもあり、ロンドンはどうかな?と視察することに。
Rieという人物を言葉に表すなら”素直でひたむきな努力家”。
彼女が笑えば周りの雰囲気がパッと明るくなる、ハッピーオーラ全開な女の子。
わからないことがあれば「何それ?」って聞くし、辛いときには「助けて」と言える、わたしが持ち合わせていない謙虚な心と素直さが心底羨ましい。
そして美容師を続けている数少ない友人でもあり、ヘアの探求と技術向上心そして努力を継続させる力が半端ない。
”頑張り屋さん”がぴったりハマる。
それがRieだ。
本人はどう思っているかわからないけど、少なくともわたしにはこんな感じに映っている。
…退社したのが12月のクリスマス前。
その数日後、わたしはRieを訪ねてロンドンへ旅立だった。
行き先を決めずノープラン旅を国内でよくしていた癖もあってかロンドンのことを下調べせず、なんとかなるか精神で行ったのが無謀だったのかもしれない。
12月のロンドン。
それはそれは凍えるほど寒く…いや寒いってものじゃない、痛いのだ。
冬の札幌には出張でよく行っていたので、ある程度寒さには耐えられると自負していたのだが、あっさりと負けてしまった。
想像を遥かに上回る体感したことのない寒さが体中を刺し、耳がとれるとはまさにあのこと。
もふもふ帽なんてただの飾りにしかならない。
目だし帽で何とかしのげるくらいじゃなかろうか…。
クラシカルな建造物が立ち並ぶロンドンの街を上品に彩るクリスマスのイルミネーションは、日本のワイワイとしたクリスマスとは全く異なり格式の高さうかがえ、寒さをごまかしてくれるくらいテンションが上がった。
「わたしはこれからこういう海外で生活をするんだ」
真っ白な馬が街を優雅に歩き、ロンドンの気品ある雰囲気にすっかり魅了され、スーパーはここにあるのね、バスはこうやって乗ればいいんだ、とか留学生活のイメトレなんてしてみたり。
観光客じゃなくて現地人みたくこの街に溶け込んでるかな?わたしって、なんぞキモい妄想をしている時間が楽しすぎた。
ロンドン滞在中Rieとスペインのバルセロナ、マドリッドへも足をのばしてみることに。
そしたらどうだ、街全体がアート、あーと、Art!
ガウディ建築…どこを撮っても絵にある風景に心を打たれ、開いた口がふさがらず見事ポカーン状態。
「なんだこの街は…まるでおとぎ話の世界みたいだ…」
バルセロナ、マドリッドの建築デザインや色彩豊かでキュートな街並みが斬新すぎておったまげた。
中でもサグラダファミリアの美しさを語るには”壮大”なんていう言葉じゃ陳腐すぎて、何と表現していいのかそのワードすら見つからないけど感動しまくったのは確か。
1度では飽き足らず朝、晩と2回見に行ったほど。
ピカソミュージアムではゲルニカの迫力に圧倒され、その場から動けなくなった。
ゲルニカを見てわたしのように涙が溢れた人はどれくらいいるだろうか?
シーフードやタパス、パエリアは食べたことがないほどに美味しい。
細胞レベルでこの国が好きすぎる!
体に稲妻が落ちたような衝撃を受けた。
ロンドンの極寒とは比べものにならない温暖な気候も最高じゃないか。
もしあそこが英語圏なら1000%留学先はスペインで即決していたな。
おっと、ここでスペインでやらかしたエピソードにちょっとお付き合いいただきたい。
バルセロナに到着したとたんRieが熱を出してしまい、わたし1人で街散策してみることに。
いや、普通なら看病するだろ!今のわたしならそうするけど、当時のReikoはロクデナシだったので「観光してきて」というRieの言葉に甘えてしまう。
本当にひどいやつだ。
この場を借りて今さらだけど謝りたい。
Rie、あのときは薄情なことをしてごめんなさい(涙)
辛かったであろうRieを置いてきぼりにして、ルンルンと街へ繰り出した。
ファーマーズマーケットや市場をぶらぶらし、お腹がすいたところで食いしん坊なわたしは美味しそうなタパス屋さんを見つけ入ってみることに。
白を基調とした清潔感のあるカフェ風のそのお店は、若者で賑わっていてこじゃれた雰囲気。
「うん、好きな感じ。これは期待できそうだ」
入り口右横にあるカウンターで注文するシステムらしい。
カウンター上の黒板にはビッシリとメニューが書かれていたけど、正直何のことやらさっぱりで(汗)
読みやすそうなローマ字で書かれたタパスとサングリアを、できもしない英語で必死にオーダー。
何か質問をしてくる店員さん。
その内容がわかるわけもなく「サングリア!」とひたすら連呼するわたし。
そして運ばれてきたのはピッチャー満タンに注がれたサングリア。
「やっちまったな(汗)グラスかピッチャーか?って聞いてきたのか…」
飲みきれなければ残せばいいや、なんて思ってたけどこれがものすごく飲みやすくて、1滴のこらず飲み干してしまった。
すっかりご機嫌さんになっちまったReikoさんは、スペインの街をふらふらと彷徨う。
スリが多く無防備にスペインの街を歩くのは危険だとガイドブックで読んだから、本来やっちゃいけないことだろう。
みなさんはわたしのみたいにならないよう気をつけてほしい。
酔っ払いのままホテルへ戻り、体調のすぐれないRieに絡むという失態。
その後、万全の体調ではなかったけど、外出できるくらいに回復したRieとあちこち観光。
ビーチにいたナイスバディなビキニお姉さまに目がポヨポヨになったり、魚介エキスがたっぷりしみ込んだ極旨パエリアに舌鼓を打ち、思う存分楽しんだ。
ロンドンへ戻るとスペインでのポカポカ陽気が幻だったかのような極寒に逆戻り。
寒さ以上に耐えられなかったのはロンドンの天気だ。
滞在中の1週間晴れたのは1日のみ、あとは曇りか雨。
グレーのどんよりした雲で覆われた空を見て目覚める毎日。
たまたま天気が悪かっただけかもしれないけど、悪天候が続くと心が荒んでしまいそうでロンドン留学を断念した。
食事が微妙だったのも敗因要素の1つ。
とはいえロンドン視察は悪いことばかりじゃなかった。
美容&語学留学をしていたRieの必死に頑張る姿はかっこよくキラキラして、わたしもやらなくちゃ!と刺激をもらえたことが大きな収穫。
語学学校に通いながら、有名サロンでヘアカットなど技術を学び、街へ出てモデルハントをする。
もちろん英語でだ。
美容専門学校を卒業後、1か月だけ大阪のサロンで働いたわたし。
日中はほぼモデルハントに明け暮れる日々。
これがまた苦痛なんだわ。
人見知りで内向的な性格がさらに辛さを倍増させ、どうやって通行人に足をとめてもらえるのかわからなくて、もう無理すぎた。
わたしにとって日本語でも簡単じゃないモデルハントをRieは英語でやっていたんだ。
いや、凄すぎるだろ。
ちょっとは社交レベルがアップした今のわたしでも同じことはできない…。
「留学を1年もしたらわたしだって英語ペラペラになるのね~!」
アメリカ人に囲まれて会話しまくっている自分を想像したら笑いが止まらなかった。
現実はそんな甘いものとも知らずに…。
バカになるロサンゼルス
ロンドンを諦め、次の候補地ロサンゼルスへ飛んだのが2月のこと。
LA行きを決めた理由は、英語圏なのと知り合いが住んでいたから。
2月の日本といえばまだ寒いが、それとは対照的にロサンゼルスはカラッとしていて、太陽の日差しが眩しいほど。
余談だがロサンゼルスは紫外線がきついので、日焼け止めは年中必須だ。
サンタモニカとベニスで見た、ビーチでのんびり読書をする人、ビーチに設置されたマシーンでエクササイズをしているマッチョ、目の前に広がる海をバックにスケボーを楽しむ若者、これらの光景すべてに他人の目を全く気にしない”自由”を感じた。
照りつける太陽に広大なビーチ、背の高いパームツリー、桟橋にある遊園地に心躍ったサンタモニカ。
活気にあふれたド派手なハリウッドの街並み、ラグジュアリーブランドが立ち並ぶビバリーヒルズの高級感。
ベニスビーチで見たオレンジ色に輝く夕陽と、真っ赤に染まる空。
わたしの留学先はここしかない。
サンタモニカでハトと仲良く戯れる陽気な路上生活者を見たとき、気を抜いたらバカになってしまいそうな感じがしたけどそんなことより、完全にノックアウトしたんだ。
自由な感じ、陽気な人々、ビーチに夕陽、パームツリー、海、山、街と様々な顔を持ちわせるロサンゼルスに。
これが留学先にロサンゼルスを選んだ理由。
行きたい学校があるなら別だけど特にないなら留学先を決めるポイントは、気候、食べ物、その街に魅力を感じる何かがあるか?だと思う。
年間150日雨というシアトルは自殺者が多いし、めったに雨が降らないロサンゼルスでは自殺者は少ない。
天気の良し悪しは人の気分に影響するんだ。
なのでその土地の気候はチェックすべき。
自炊をすれば解決するかもしれないが、わたしのように食べることが好きな人なら美味しいレストランがないと死活問題。
最後にその国で生活している自分を想像したらワクワクするか?これも重要。
今やネットで何でも情報が手に入る世の中。
海外の街の様子なんて簡単に見ることができるから、行ったことのない土地でも想像くらいはできるだろう。
余念がない人は治安、物価をチェックするといいし、公共機関の発達具合もおさえておくといい。
ちなみにロサンゼルスの交通網は最悪、完全車社会なのであしからず。
さて、気持ちがすっかりロサンゼルスにむいたわたしは留学準備へと着手した。
次回は渡米までにしたこと、どうやって語学学校を選んだのか、留学資金にいくら準備したのかを話していこう。
おまけ
「この歳になって留学なんてしたら周りがどう思うだろうか?」
「留学した先に明るい未来はあるのだろうか?」
「留学…失敗したらどうしよう?そしたら日本で何をしたらいい!?」
勢いで留学を決意したわたしだって、こんな風に考えたことはある。
でもさ…やってみなきゃわからん。
わたしの人生を生きられるのは、お母さんでもなく友人でもない、自分自身なんだ。
だったらどうして他人の目を気にする?
この選択が間違いだったとしても大丈夫、未来のわたしが何とかするに決まってる。
これがわたしの出した答え。
留学期間って数か月~数年くらいの出来事。
たとえこの期間がなかったものとしても、この先まだ続くであろう長い人生でみたら、失った時間により人生が大きく狂うことはない。
後悔や失敗があったとしても、またやり直しすればいいじゃないか。
実際1年半という闘病生活は、わたしにとって前進することのない”人生の空白の時間”だったけど、また大好きなロサンゼルスに戻り再スタートがきれたわけだから、やっぱり数年時が止まってもそのあとはどうにかなる。
そう、わたしは一歩踏み出したことに後悔してない。
留学準備編へと続く。
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