またアイツがやってきた…。
そう、これまでの人生アイツがわたしの元に現れたのは計3回。
アラフォーという年代で3回というこの数が多いのかどうかはわからない。
でもはっきり覚えている。
いつアイツが姿を現したのかを。
あれはわたしが21歳、23歳、そして29歳のころだった。
何が起こったのかはさておき、まずはさっきから登場している”アイツ”について書こうと思う。
こっそり影のひそめているアイツ
この先自分の人生をどう生きたらいいのかわからずモヤモヤした経験はありますか?
やりたいことが見つからない、特別なスキルがあるわけでもない、なんだけどやりたい仕事をして、お買い物をたくさんし、美味しいものをいっぱい食べて、好きなときに旅行にいって…そんな何もかも満たされ充実した毎日を送りたい、という理想だけはある。
でも自分に向いているのもってなんだろう…。
何かやりたい→でも興味あるものはない→環境を変えたい→使える才能なんてない→でも…
まるで暗いトンネルをひたすらあてもなく彷徨っているような、出口の見えない場所をひたすら歩き続けているモヤモヤぐるぐるとした変なスパイラルに陥ってしまう感じ。
なんだろう…ふかーい落とし穴に見事にハマってしまったような。
他の人もきっと人生で1度くらいは同じような闇にはまってしまった経験があると思う。
これにうっすらでも共感してもらえていると信じて書きすすめるけど、この出口のない暗闇に放り込まれてしまう感じを”アイツが来た”とわたしは名づけている。
あんな風な人になりたい…ふんわりとした理想像はあるのにどうしたらそうなれるのかわからない。
心から人生充実してるって言いたい…けど何をしたらいいの?
自分の求める幸せって何だろう?
こんな思いが頭いっぱいになって、何か変えたいけどそのすべもわからず、自分がどこへ向かっているのかさえ謎。
そんなモヤモヤに取りつかれる状態こそが”アイツが来た”なのだ。
21、23、29歳のときアイツに出くわしているということは、思えばわたしの20代は総じて心から満足、充実した人生を送れていたとは言えず、ないゴールを探してひたすらもがいていただけなのかもしれない。
「これでいいのかな?」心のどこかで感じていたけど、それを認めてしまうとアイツが現れそうで、闇の中に放り込まれたくなくて、見ないようにただ毎日を必死に生きていたと思う。
本当はわたしの真後ろにいてアイツはいつも手ぐすねを引いていたんだ。
自分でもどうしていいかわからなくなりすぎて、人生の路頭に迷ったときアイツは待ってましたかのように姿を現す。
最後アイツがやってきたのは、わたしが29歳のとき。
このときわたしは留学することを決めたんだ。
仕事も順調で何不自由ない生活を送っていたあのとき、一体何がわたしを留学へと導いたのか?
ここではその理由と経緯について話していきたい。
こうやって文字に残すのは自分の記録として、あと20代後半で留学すべきなのか迷っているあなたへこんな生き方もあるんじゃないかなって伝えたいから。
人生なんて人それぞれ。
スキルがなければ、秀でた才能もない。
ごく平凡なわたしでも留学から現地で就職をし、時間にとらわれることなくお気楽にロサンゼルスで楽しく生活できている。
とはいえまだ自分の求める人生ではないからわたしも発展途上。
よく聞く”行動あるのみ”
思い描くような生活を手に入れるならまさにそれに尽きるんだけど、でもさ勇気やモチベーションがいるからなかなか重い腰を上げられないんだよね。
わたしのこれまでを話すことで「あの人にできたのなら自分だっていけるな」そう思い、あなたが一歩踏み出すきっかけとなれば嬉しい。
激動の東京生活
わたしは30歳になる年に初留学ロサンゼルスへ渡航。
その前はというと、東京の恵比寿にあるプロダクションでセクシーモデルのマネージャーをしていた。
マネージャーの前はというと探偵とアダルトビデオ制作会社にて勤務。
これにはおもしろネタ話があるので、いずれ披露させていただきたい。
話を戻してと。
まずは留学を決めた理由にも繋がるマネージャー時代まで巻き戻してみよう。
あの当時はホント毎日忙しく朝から晩まで働き続けた日々。
24歳に入社したモデルプロダクションでは辞めるまでの5年間働いた。
そのプロダクションにはアイドル路線で売っているスター系部署、20代中心の子が所属するところ、お姉さま方が在籍する3つのグループに分けられていて、わたしが配属されたのはいわゆる熟女さんの部署。
マネージャーといっても現場に行くことだけが仕事ではなくて、制作会社や出版社をまわり所属モデルに撮影をとってくる営業を基本とし、モデルのメンタルケアだって業務に含まれるから休んでる暇なんてない。
入社後すぐ与えられた仕事は、渡された取引先リストを見て撮影の仕事をとってくるというもの。
それまで営業なんてまともにしたことなかったし、学生時代テレアポのバイトが苦痛すぎてわずか数時間で辞めたわたしにとってトラウマでしかなく、取引先に電話1本するのも心臓バクバクで正直ものすごく嫌だった。
でもやるしかない。
片っ端からリストに記載された番号に電話をかけ、会うアポイントをとりつける。
どうやってアポにこぎつけるのかわからなくて先輩マネージャーに聞くも、
「新しい宣材(モデルプロフィール)あるんで見てくださーい」でいいんじゃね?
そんなフワッとしたことしか教えてくれず、要は自分で何とかしてってことだった。
モゴモゴしながらもとれたアポイントは3件。
それをもって初営業へ出た。
遅れないよう少し早めにオフィスを出て、アポイントの時間まで取引先の近くにあった公園のベンチに腰をおろす。
「ねぇ、Reikoさんキャバクラの経験ある?」
わたしがプロダクションの面接を受けたとき、社長に聞かれた質問を思い出した。
「ちょこっとだけですが働いたことはあります…」
言ってよかったのかわからなかったけど、正直に答えた。
「OK!じゃ採用ね」
わたしはキャバクラで働いたことがあるってだけで採用されたんだ。
何のこっちゃ⁉そう思ったけど、この営業後社長が発した言葉の意味を知ることに。
初営業はあぶら汗が出るほど緊張したけど、はじめて会った出版社の担当者が普通のおじさんでフレンドリー、すごく話しやすくてなんかノリがキャバクラ譲とお客さんみたいな感じだった。
この業界だから強面の人とかいるんじゃないかってビビってたけど、クライアントは普通のおじさんやお兄さんが多め。
あの頃は女性マネージャーが少ないこともあってか珍しがられ、わりかし仕事がとりやすかった。
もちろん所属モデルの質がよくないと話にならないけど。
仕事にも慣れ熟女部門を仕切る立場になってからは多忙極める毎日。
モデル志望の面接をしたり、撮影が入れば土日関係なく現場にモデルさんを連れて行くし、いつでも駆けつけられる場所にいないといけなかったから、海外旅行なんて行けたもんじゃない。
昼夜かまわず電話は鳴るし、心底気が休まる日なんてなかった。
それでも自分を頼ってくれるモデルがいて、不自由ないお給料をもらい、ほしいものが買え、美味しいご飯をたらふく頬張る、何んだかんだトラブルはあったものの生きている実感がもて、若かりし頃夢見た生活が実現。
でもその一方28歳くらいから「この仕事はやりがいはあるけど、いつまで続けることができるんだろう」そう思うようになっていった。
とはいえ、他にしたいこともなければスキルもない。
あるのはモデルをクロージングするトーク力のみ。
モヤモヤとした悩みを抱え続け30を目前にした29歳のころ、とうとうアイツがわたしの元へやってきたんだ。
「30歳までに結婚がしたい、子供がほしい」と30歳が何か区切りと考えている子も多かった。
わたしも同じように30歳って人生の1つの節目と思っていたからこそ、このままでいいのかな?っていう焦りが。
そしてついに暗闇へと放り込まれた。
わたしが留学を決めたわけ
わたしは何がしたいんだろう…。
考え続けても答えは出ず、ただ自分の知らない丸っきり新しい世界に飛び込んでみたいという気持ちだけはあった。
今思えばただあの環境から逃げる口実が欲しかっただけ。
大阪から東京へと移り住み、その次目指すはこれ以上の都会!
とはいえ東京以上に栄えているところなんて日本にはなくて。
だったら海外か…なんて頭の片隅においていた。
都会がよかったのはわたしが単に大阪の田舎で育ち、煌びやかな場所に憧れがあったから。
このくだりはプロフィールにも書いたけど、そんなときネットで見つけた”ゲストハウス”。
世界中を旅するバックパッカーたちが集まるゲストハウスとは、一体どんなところなのか気になり泊まってみることに。
アメリカ、ヨーロッパや韓国からの宿泊者と一緒にご飯を作ったり、飲みに行ったり、パーティーをしたりと、時間に追われることなく、ストレスフリーで心が満たされていく感じ…まさしくわたしが求めていた自由な空間がそこにはあった。
ただ如何せんコミュニケーションがうまくとれないもどかしさも残り…。
もっと彼らと仲良くなり外の世界を見てみたい、その気持ちがゲストハウスで過ごした楽しい時間とともに一気にこみあげてきて、久々にわたしのやりたいことはこれだ!ってビビッときたのを覚えている。
ゲストハウスで働いてもっといろいろな人に出会ってみたい、ならば英語を身につけないと、よし!留学だ!
現実世界から逃げ出す口実ができあがった。
そして29歳のころわたしは留学することを決意。
英語を話せるようになってゲストハウスで働くぞ!
これがわたしの留学動機。
この夢は今でも密かに持ち続けていて、いつかゲストハウスで働くか、小さくてもいいから人々が集まれる場所みたいなのをつくりたいと思っている。
おまけ
何考えているかわからない不思議な子。
会う人会う人みんなにそう言われ続けてきたわたし。
別に否定はしないし、わたしも客観的にみたら自分はそういう人間と映るだろう。
昔から自分の考えや悩みを人に伝えることがなかった。
相談したところで結局決めるは自分なんだし、だったら人に聞く必要なんてなくない?
自分をさらけ出すのが苦手で困ったとき「素直に助けて!」そう言える人が羨ましかった。
本心を話すことがないんだもん、それってきっと相手にも伝わっているし、だから何考えているかわからないと言われても仕方がない。
不思議な子っていうのは、突然東京行きを決めてみたり突拍子もないことをするから、変わった職業を好んでいたから?と推測。
違っていたらリア友さん教えてください(笑)
海外生活をするようになってから、気取ることなく自然体でいいんじゃん、人にどう思われようと関係ない感がさらにアップした気がする。
そしてわからないことがあれば堂々と人に聞けるし、凄いと思ったらそれを伝える素直さがちょっとずつ身についてきた。
あと自分は無知なんだってことを認められる人間になった。
たぶんあのまま日本にいたら、わたしは知ったかぶりの高飛車な女のままだっただろう。
思いつきと勢いだけでロサンゼルスに来たけど、自分自身大きく変わったからこの選択は間違いじゃない、そう思っている。
ロンドン、ロサンゼルス視察編につづく
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